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ドキュメンタリー映画『オオカミの護符』

ドキュメンタリー映画『オオカミの護符』_c0163838_1022620.jpg(前記事のつづきです)家に戻り、板橋の古民家で見かけた黒犬の絵のおふだに書いてあった「大口真神」「御岳山」という文字をヒントに調べていたら、なんと今現在「ポレポレ東中野」で、まさにこのおふだの謎を追った『オオカミの護符』というドキュメンタリー映画が公開中だというのです!(朝10時半からの1回上映のみ) さいわい翌日何も用事がなかったのでさっそく観に行きました。この映画は、神奈川の土橋という土地に住むある女性が、蔵に何度も貼り直された跡のあるこのおふだに興味を持って来し方を追うというスタイルで、日本の「オオカミ信仰」「山岳信仰」が語られていくドキュメンタリーです。

今や真新しい家々が並ぶ住宅地である土橋に、じつは根強く浸透している「御岳講」。地域の公民館に地区ごとに集まり、その年の御岳山への代参者をくじ引きで決め、数名の代参者で御岳山にあたらしい護符を授かりに行くのです(講中と呼ばれる)。かつては神奈川の土橋から御岳山まで歩いて参詣するならわしだったとか。着くまで二泊くらいかかりそう・・。

着くと決まった宿に泊まり、お祓いを受けて参詣し、土橋の御岳講全世帯分のおふだを授かります。その後「なおらい(なおりあい)」といういわゆる飲み会が行われ、みなさん実に達成感のあるいい笑顔で帰途につくのです。

このおふだの黒犬のような生き物について調べはじめた女性は、ある御岳講のお宅の神棚に古くから奉られている「骨」に行き当たります。これが今や絶滅した「ニホンオオカミ」の頭骨でした。つまり「大口真神」とは「ニホンオオカミ」のことなのです。このあと、他の土地にもオオカミ信仰がないか、各地のおふだのデザインから調べはじめ、カメラは秩父「三峰山」に向かいます。

この地にあるおふだは、いまにも消えてしまいそうな薄い刷り。それもそのはず村の長老格のおじいさんが摩耗しきった古い版木を使い、いまだにバレンで一枚一枚手刷りで作っているのです。映画の後半は秩父のオオカミ信仰、ひいては山岳信仰にスポットを当てます。

山を望む家々の人は、山に向かって「おやまさま・・」と手を合わせます。願い事をする訳でもなく、ただなんとなく山に目がいったとき「おやまさま・・」と拝む。うまくいえないのですが、なんだか宗教とも信仰ともいえない不思議なものを感じました。このシーンがいちばん胸に響きました。

かつてその山には「神領民」と呼ばれる農民が住んでいて、そのあかしとして藁葺き屋根のてっぺんに、神社のような梁を乗せていました。夜中、オオカミが出産するときにあげる独特の鳴き声を聞くと、神主さんや神領民で出産された場所を見つけだし、そこにお酒をふりかけた赤飯をおそなえしてきたといいます。そうすれば「イノシシやシカに農作物を荒らされない」

オオカミ信仰とは、農作物を荒らす動物を食べてくれる肉食獣であるオオカミを崇めることで豊作を祈るという、農民の信仰のことだったのです。

観ていて思ったのですが、山岳信仰の人たちは、やたらと山の中の神社にお供えものをする。炊いた雑穀であったり魚であったり。それもだいたい冬の季節。このお供えものはきっと山の動物に食べられます。エサの少なくなる冬にそういう行事が多いのも、なにかの道理があるのでしょう。農作物を荒らすイノシシ憎し、シカ憎しといっても、イノシシやシカを居なくしてしまっては、山がうまくいかなくなるということをふまえたうえでの山岳信仰、「おやまさま」というのは、山を舞台にした木も草も虫も鳥も含めたサイクルに対する畏敬の気持ちの総称なのだと思いました。

ドキュメンタリーの締めくくりは、土橋のその女性の家に戻ります。新年があけ、こんどは御岳山から宿主さんが講の各家々をまわって祝詞をあげて歩くのです。生き物の世界の微妙なバランスのように、地域・講中・山・神社・宿が互いに必要としあい、支えあいながら廻っている。これから時代が進んで、どれかがどれかを必要とも思わなくなったとき、この長いこと廻り続けてきたわっかが一気に崩れるのでしょう。

私は、土地の神社や地域の活動に参加してみたいなと思いました。決められた日にちや時間をとられるのは、慣れてないものにとってはやっぱり面倒だと感じてしまうのですが・・面倒の向こう側に、こんなに面白くて深いものがあるならば!
by teneacco | 2008-10-17 11:42


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